2010年10月19日火曜日

災害体験の世代間の語り継ぎに関するアクションリサーチ−「関係としての自己」の視点から−

[タイトル]
災害体験の世代間の語り継ぎに関するアクションリサーチ−「関係としての自己」の視点から−

[著者]
矢守 克也

[掲載]
日本グループ・ダイナミクス学会第57回大会発表論文集, pp.6-9

[アブストラクト]


[キーワード]
自然災害、語り継ぎ、アクションリサーチ、関係としての自己

[要約]
災害体験の語り継ぎ活動についてのアクションリサーチ。消防隊員の親子が語り部となったケースと、共に教師をしている師弟が語り部となったケースについて報告し(聞き手はいずれも小学生)、それらの実際に行なわれた語り継ぎ活動の特徴と意義を、「徹底した関係主義に基づく自己語り」の理論をベースに考察している。
具体的に、本アクションリサーチから得られる理論的示唆として、以下の4点を挙げている

(1)『語りは個人の語りである』という常識を乗り越えることである:
個人個人が語る内容も、結局のところ、「語り手」、「語りの中の登場人物」(特に今回のアクションリサーチでははそれが同じ場の別の語り手である点がポイント)、「聞き手」がその場で共同の制作物として存在している。「語り継ぎ」は、このように複数の当事者や関係者による協働の制作物として集合的かつ継承的に生成され、それと同時に、その物語が生活や人生を導く上で重要な「共同の資源」として集合的かつ継承的に活用される場という意味に解さなければならない

(2)我々は自分の人生を物語として語るだけでなく、物語においては他者との関係性の上に存在しており、社会生活は互恵的アイデンティティのネットワークである:
互恵的アイデンティティのネットワークの形成と不断の更新作業は、一見、そのネットワークとは直接関係を持たないと思われる第三者(例えば聞き手)を「重要な媒介」として達成される。今回の例でも、「聞き手」が存在したこと(聞き手に語る場があったこと)によって、「聞き手に語られるものがたり」として「親子物語」や「師弟物語」が顕在化した、と見える。われわれにとっては、自己の物語は、語りの中で直接的に自分のカウンターバート(例えば親子物語における親に対する子、あるいは子に対する親)となる他者は言うに及ばず、聞き手を含む広範な他者たちとの間で張られる互恵的ネットワークに依存して、揺らぎながら形成・維持・変容する。

(3)語りの構成は、生活に意味と方向性を与える:
今回の語りに於いては、聞き手である子供が自分達を「震災体験で何も知らない存在」見なしてしまうことが慎重に回避されている。語りを行なう「親子」の消防士や「師弟」の教師というそれぞれの組の二人の関係は、単に「震災を体験した大人」(何も知らない自分達と対)という存在ではなく、「親子」の「子」の消防士や「師弟」の「弟子」の教師の人々は震災当時は自分達と同じ小学生であったということ(自分達と同じ立場であった)ということや、「親」から見れば「子」は、あるいは、「師」から見れば「弟子」は、今なお、自分達と同様に「震災について知らない存在」であったということから、「子」や「弟子」が自分たちの将来の投影であるという感覚が生じている。すなわち、子供達は「子」や「弟子」へといたるかもしれないルートに乗っている自分という人生(人生のシミュレーションの想像)の物語を入手したことなる。

(4)社会構成主義に徹底するならば、意味を生み出すより広範な社会過程の中の語りこそが強調される:
   (これについては略。)



[感想]
実際に、大会での発表を聞いた。
 ベテランから若手への知識の伝承のあり方の一つとして、「体験の語り継ぎ」という姿があるだろうと考え聴講した。演者は実際の語り継ぎ活動に10年間従事し、その中で「語り継ぎ活動」が上手く行かなかった場面や上手くいった場面に接する中で、「語り継ぎ」とはどのようなものかを整理したとのことであった。以下にその要旨を記す。

「体験の語り継ぎ」は、通常、「人生を語る(人生→語る)場」という視点で捉えられていて、語り継ぎ活動の実際の場面においても、その場の設計は「人生を語る人」・「それを聞く人」という設計となっている。しかし、このような場では語りを聞いた側には実際には「聞いただけ」で何も獲得していない場合が多い。語り「継ぎ」とするためには、「語られた内容から自分の人生を展望する・見つめなおす(語る→人生)」という方向をこそ重視すべきで、この視点に基づいて語り継ぎ活動の場を設計すべきではないか。

 要するに、如何にベテランの話を自分と重ね合わせるか、という点であろう。「語り」のストーリーの中、あるいは、「語り」の場の中に如何に「今の自分」を見出すのか、如何に自分をInvolvementするか、が当事者意識を持った「聞き」を生み出すポイントであり、そのようなことができる「語り」の場や「語りの状況」のデザインが必要である、ということ。

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