2010年10月19日火曜日

医療現場における「改善」を目指した創造的活動のデザイン

[タイトル]
医療現場における「改善」を目指した創造的活動のデザイン

[著者]
山口 悦子 (旧姓:中上 悦子)

[掲載]
日本グループダイナミクス学会第57回大会発表論文集, pp.48-49, 2010

[アブストラクト]

[キーワード]
改善、QCサークル活動、芸術活動支援、病院ボランティア活動支援

[要約]
  大阪市立大病院にて、看護士や医師、その他のスタッフの間での創造的協働を引き出すためのアクションリサーチを行なったとのことで、その中で「創造的協働の形成」の過程についての得られた知見が発表された。以下、その要旨。
病院における部局・セクションを横断した活動としてQC活動や、ボランティア活動支援活動、芸術家活動支援活動という活動を構築する、ということを目的とした介入を行なった。そこで、「医療改善のために、QC活動や、ボランティア活動支援、芸術家活動支援をやりましょう」という説明の仕方で当初行なっていたが、中々活動に参加してもらえなかった。

そこで、「ボランティアさんが上手く動けるような形で、日常業務を行なってください」や「芸術家さんが芸術活動を成功させられるような形で、日常業務をやってください」、QC活動に対しては「他の病院職員が上手く働けるような形で、日常業務をやってください」という説明をすると、すんなり受け入れられた。

ポイントとして、病院組織においては、非常にセクショナリズムが強く「日常の業務」にさらにプラスαが加わることには「内のセクションにはそんなものを受け入れる余裕は無い。ほかでやってくれ!」と非常に強く抵抗するが、「日常の業務割り当てを組み替える」ということに対しては意外なほどすんなりと受け入れられる、ということであった。

この前者と後者をそれぞれ活動理論に依拠してまとめると、以下のようになる。

              (道具)
             ┌┘ └┐
           ┌┘     └┐
   芸術家  ┌┘         └┐
(主体)ボランティア——————(対象→結果)患者→より良い医療
   他の職員└┐         ┌┘ └┐     
    ┌┘    └┐     ┌┘     └┐ 
  ┌┘        └┐ ┌┘         └┐ 
(ルール)——————(集団)————————(分業)

           (道具)新体制に対する現行業務の適用
               他の病院で使われているQC手法
             ┌┘ └┐
           ┌┘     └┐        ・QCサークル支援
         ┌┘         └┐         ⇒サークルメンバ
(主体)医師・看護士——————(対象→結果)・芸術活動支援支援
      ┌┘└┐         ┌┘ └┐     ⇒芸術家
    ┌┘    └┐     ┌┘     └┐ ・ボランティア活動支援
  ┌┘        └┐ ┌┘         └┐ ⇒ボランティア
(ルール)——————(集団)————————(分業)
           ボランティア・芸術家
           他の部職員

前者の構図では、活動の意義は分り易いが、分業やルールが曖昧となる上に、ツールが決まらない。職員と芸術家が主体となって患者を対象に働きかける時には、職員は一体何をすれば良いかわからなくなる。
それに比べ、後者の構図では、分業すべき相手・ツールが明確なり、ルールも自ずと決まってくる。つまり、やることが明確になるので、各自が自律的に動くようになる。また、日常の業務に新しい何かを加えるというのではなく、日常の業務をそういうものにしてください、ということによってメンバの抵抗も少なくなる。

 (藤野が以下に質問を行なった。)
Q:病院メンバに対してQC活動への動機づけ喚起のために、具体的にどのようなことを行ったのか?
A:2点ある。一つは病院の特状としてサービス残業が非常に多い。そこで、QC活動についてはお金をつけるよ、ということを強く宣伝した。もちろん、そのためにまず院長に対して説得を行なった。次いで、何度も勉強会を開いて、「病院側が本気で取り組んで言ってるんだ」という思いを粘り強く伝えていった。

[感想]
まあ、要するに、言い方一つで変る、ということだが、その「言い方」の設計方法の実例をまとめてある、とでもいえようか。

災害体験の世代間の語り継ぎに関するアクションリサーチ−「関係としての自己」の視点から−

[タイトル]
災害体験の世代間の語り継ぎに関するアクションリサーチ−「関係としての自己」の視点から−

[著者]
矢守 克也

[掲載]
日本グループ・ダイナミクス学会第57回大会発表論文集, pp.6-9

[アブストラクト]


[キーワード]
自然災害、語り継ぎ、アクションリサーチ、関係としての自己

[要約]
災害体験の語り継ぎ活動についてのアクションリサーチ。消防隊員の親子が語り部となったケースと、共に教師をしている師弟が語り部となったケースについて報告し(聞き手はいずれも小学生)、それらの実際に行なわれた語り継ぎ活動の特徴と意義を、「徹底した関係主義に基づく自己語り」の理論をベースに考察している。
具体的に、本アクションリサーチから得られる理論的示唆として、以下の4点を挙げている

(1)『語りは個人の語りである』という常識を乗り越えることである:
個人個人が語る内容も、結局のところ、「語り手」、「語りの中の登場人物」(特に今回のアクションリサーチでははそれが同じ場の別の語り手である点がポイント)、「聞き手」がその場で共同の制作物として存在している。「語り継ぎ」は、このように複数の当事者や関係者による協働の制作物として集合的かつ継承的に生成され、それと同時に、その物語が生活や人生を導く上で重要な「共同の資源」として集合的かつ継承的に活用される場という意味に解さなければならない

(2)我々は自分の人生を物語として語るだけでなく、物語においては他者との関係性の上に存在しており、社会生活は互恵的アイデンティティのネットワークである:
互恵的アイデンティティのネットワークの形成と不断の更新作業は、一見、そのネットワークとは直接関係を持たないと思われる第三者(例えば聞き手)を「重要な媒介」として達成される。今回の例でも、「聞き手」が存在したこと(聞き手に語る場があったこと)によって、「聞き手に語られるものがたり」として「親子物語」や「師弟物語」が顕在化した、と見える。われわれにとっては、自己の物語は、語りの中で直接的に自分のカウンターバート(例えば親子物語における親に対する子、あるいは子に対する親)となる他者は言うに及ばず、聞き手を含む広範な他者たちとの間で張られる互恵的ネットワークに依存して、揺らぎながら形成・維持・変容する。

(3)語りの構成は、生活に意味と方向性を与える:
今回の語りに於いては、聞き手である子供が自分達を「震災体験で何も知らない存在」見なしてしまうことが慎重に回避されている。語りを行なう「親子」の消防士や「師弟」の教師というそれぞれの組の二人の関係は、単に「震災を体験した大人」(何も知らない自分達と対)という存在ではなく、「親子」の「子」の消防士や「師弟」の「弟子」の教師の人々は震災当時は自分達と同じ小学生であったということ(自分達と同じ立場であった)ということや、「親」から見れば「子」は、あるいは、「師」から見れば「弟子」は、今なお、自分達と同様に「震災について知らない存在」であったということから、「子」や「弟子」が自分たちの将来の投影であるという感覚が生じている。すなわち、子供達は「子」や「弟子」へといたるかもしれないルートに乗っている自分という人生(人生のシミュレーションの想像)の物語を入手したことなる。

(4)社会構成主義に徹底するならば、意味を生み出すより広範な社会過程の中の語りこそが強調される:
   (これについては略。)



[感想]
実際に、大会での発表を聞いた。
 ベテランから若手への知識の伝承のあり方の一つとして、「体験の語り継ぎ」という姿があるだろうと考え聴講した。演者は実際の語り継ぎ活動に10年間従事し、その中で「語り継ぎ活動」が上手く行かなかった場面や上手くいった場面に接する中で、「語り継ぎ」とはどのようなものかを整理したとのことであった。以下にその要旨を記す。

「体験の語り継ぎ」は、通常、「人生を語る(人生→語る)場」という視点で捉えられていて、語り継ぎ活動の実際の場面においても、その場の設計は「人生を語る人」・「それを聞く人」という設計となっている。しかし、このような場では語りを聞いた側には実際には「聞いただけ」で何も獲得していない場合が多い。語り「継ぎ」とするためには、「語られた内容から自分の人生を展望する・見つめなおす(語る→人生)」という方向をこそ重視すべきで、この視点に基づいて語り継ぎ活動の場を設計すべきではないか。

 要するに、如何にベテランの話を自分と重ね合わせるか、という点であろう。「語り」のストーリーの中、あるいは、「語り」の場の中に如何に「今の自分」を見出すのか、如何に自分をInvolvementするか、が当事者意識を持った「聞き」を生み出すポイントであり、そのようなことができる「語り」の場や「語りの状況」のデザインが必要である、ということ。

2010年10月8日金曜日

行動随伴性から見た社会人の働きがい

[タイトル]
行動随伴性から見た社会人の働きがい

[著者]
行動随伴性から見た社会人の働きがい

[掲載]
日本行動分析学会年次大会プログラム・発表論文集 (17), 110-111, 1999

[アブストラクト]

[キーワード]

[要約]
7人の協力者にインタビューを通じて、勤務中の行動とその結果、それに対して本人が自分で与えている言語的強化、社会的強化を聞き取り、その聞き取った行動に随伴する結果について、(1)好子か嫌子か、(2)行動内在的か付加的か、(3)生得的か習得的か、について分類した。
その結果から、「働きがいを感じている」協力者においては、直接仕事に関係する作業をすることが、好子出現の行動内在的随伴性の制御を受けていることが確認された。また「褒め言葉」や「人が喜ぶ姿」などの社会的好子が付加する行動随伴性により強化されている場合でも、「働きがい」を感じることが出来るとみなされた。いっぽう、「働きがいがない」という協力者においては、これらの随伴性は見られず、仕事をするという行動はルール支配の随伴性や、好子消失の阻止の随伴性に強く影響されているようである。

[感想]
要するに内発的動機付けや外発的動機付けの内的統制で仕事をしている人は「働きがい」を感じるし、外発的動機付けの外的統制で仕事をしている人は「働きがい」を感じていないということ。

部会員からの報告(1)Resilience Engineering

[タイトル]
部会員からの報告(1)Resilience Engineering

[著者]
藤田 祐志

[掲載]
人間工学専門家部会報, Vol.1(創刊号), p.1, 2004.

[アブストラクト]

[キーワード]

[感想]
Resilience Engineering・・・システムの安全維持に組織の視点から寄与しようとする考え方。回復力のあるシステムを如何に作り上げることが出来るか。自動化などの技術的仕組み、環境条件、従事者の適正や教育訓練、組織論といった従来から議論さえていることの限界を理解した上で、如何に組織のリスクを察知することが出来るか、が議論の中心。

人的多重防護を巡って−Resilience Engineeringの観点から−

[タイトル]
人的多重防護を巡って−Resilience Engineeringの観点から−

[著者]
小松原 明哲

[掲載]
電子情報通信学会技術報告, SSS2006-36, pp.9-12

[アブストラクト]
E.Hollnagelらの提唱したResilience Engineeringは、組織の安全に関して、ヒューマンファクターズのユニークなコンセプトとして注目を集めている。本稿では、Resilience Engineeringの考え方をレビュする。次に、組織構成員の行動が、組織にとって不適切な事態を招いた組織事故として、JCO社臨海事故(1999)、建築強度偽造事件(2005)を取り上げ、Resilienceとの関係について考察する。事例検討に基づき、人間による組織のResilienceは多重防護、多重冗長を果たそうとする態度が関係者になければ、果たされないことを指摘し、最近の社会風潮がResilienceを無効化する共通基盤故障として作業している懸念を示す。

Resilience Engineering which E.Hollnagel et al proposed is a unique human factors approach to organizational safety. The concept of Resilience Engineering is reviewed in this paper. Next, a JCO criticality accident(1999) and a construction forged case(2005) are discussed with a relation to Resilience Engineering. Based on the case studies, this paper points that organizational resilience will not be performed if oragnizatonal members do not have the positive attitude of performing defense-in-depth and redundancy. This paper also indicates an anxiety that the latest social trend that pople tend to have less interests toward others will hinder oganizational resilience.

[キーワード]
人的多重防護, 組織安全, レジリエンス・エンジニアリング
Human defense-in-depth, Organizational Safety, Resilience Engineering

[感想]
レジリエンス・エンジニアリングという言葉は知っているが、いまいち全体像がつかめないので、調べる中で見つけた読んだ文章。
レジリエンス・エンジニアリングというのは、結局チーム・システムの全体で最終的な顕在化事象の発生を抑えましょう、という考え方。
多重の冗長性を持たせたシステムを構築しようという考え方・・・・
というのでよいの??
なんかちょっとまだ良くわからん・・・。

ただ、とりあえず、このフレーズには納得。で、これがあるからこそ、モチベーションやモラールが大切になる。
「組織構成員に、なんらかの予期しない事象に対して、多重防護を果たそうとする意識が無ければ、あるいは、本来それを果たすべき役割者の代わりを果たそうとする人的多重冗長を果たそうとする意識が無ければ、人的Resilienceは「土台無理」ということである」
(若干、へんな日本語だが・・・)

リスク環境におけるドライバと運転支援システムの協調

[タイトル]
リスク環境におけるドライバと運転支援システムの協調

[著者]
伊藤 誠、稲垣 敏之

[掲載]
オペレーションズ・リサーチ : 経営の科学 Vol.51,No.10, 621-626, 2006

[アブストラクト]
本稿では、多様なリスク環境における人と機械との協調を論ずる。人間の判断をつねに優先する古典的な「人間中心の自動化」の考え方では十分な安全性の確保は難しいことが、これまでの事例や研究から明らかになってきている。これに対して、状況と底でのリスクに応じて、機械が安全確保のために自律的に判断・実行することを許す必要があることを指摘し、その湯構成を示した自動車の運転士縁に関する研究例を紹介する。また、このような動的特性を有する支援が、人に受容され、なおかつ過信や過度な依存をもたらさないようにするために克服すべき課題を述べる。

[キーワード]
人間機械協調, リスク, 自動車, 運転支援, 人間中心の自動化, シミュレーション

[要約・感想]
1.どうも気になるのは、「操作を任せる・意思決定を任せる」という部分の依存ばかりクローズアップされているところ。依存は「状況認識」そのものから起っているのではないだろうか。例えば、「危ないからブレーキを踏め」とか「危ないから前の車に注意しろ」というものは結局、命令であり、動作をするかしないかは原理的には人に選択の余地が与えられているとはいえ、結局、指示に従わなければアウトなのだから、指示には従うだろう。大切なのは、「状況を構成している、その人が検知しえない情報を提示する」といったことなのではないだろうか。

2.根本的には人には「依存・過信」というモードがあるわけではなく、「適応」と見るべき。そのシステムが存在する、ということを前提とした「状況への適応」が起る。人には「状況への対処に必要な注意リソース」を低減させていくメカニズムが備わっている。それが適応。

挙げられている4つの方策はすべて、結局、人の依存・過信を生むのではないか?行動への意思決定を人に委ねるとしても、状況認識は機械も行なっている。いずれ、人の適応のメカニズムから状況認識を機械に依存していく(自分で行なわなくなっていく)のではないだろうか。
それは「依存・過信」としてネガティブに捉えることも出来るが、本質的、ニュートラルに捉えるならば、「社会的認知」「分散認知」として、人がしなければならなかった状況認知を機械の側に分散させた・委譲したものであると捉えられる。人−機械システム全体で、状況モニタリングと運転操作の意思決定がなされている。

(アカン、上手くまとめられんが・・・汗)

「人と機械によるダブルチェック」というように二つのシステムが並列しているような印象があるが、結局本質的には二つのシステムが走っているのではなくて、一つのシステムが走っているだけと捉えるべきなのでは??各サブシステムのロバスト性・信頼性がどのようになるか、色々なサブシステムの構成(人のみ、人ー機械、機械のみ)の中でリスクがどのようになるのかを考えてみるというのも面白いのではないだろうか。というより、そういう観点が必要なのではないだろうか。


3.理想的な状況は、人と機械が2重の監視体制を気付いているということだろうが、これは、運転者と助手席同乗者のナビゲーションをなぞらえているのだろう。なんとなく、相手が人だと、たしかに2重のチェック体制ともいえなくない。ただ、助手席者と機械とで何か本質的な違いというものがあるのだろうか??本質的な違いが無いとすれば、助手席者が機械と同じナビゲーションを行ない続けてれば、いずれは人は助手席者にも依存するようになるのだろうか。。。これを実験で調べてみることは興味がある。
ちょっと既往研究を調査してみようかな。

2010年10月7日木曜日

人が守る安全を考える

タイトル
人が守る安全を考える

著者
小松原 明哲

掲載
JR EAST Technical Review - No.29, pp.1-4, 2009.

アブストラクト

キーワード
レジリエンス・エンジニアリング
要約
期待されたことが果たせなかったことをヒューマンエラーという。
エラー防止のアプローチは今までは2つあった。
(1)個人責任の時代・・・エラーは本人の不注意で、処罰して矯正されるべきもの。態度を入れ替えるための教育をする。
(2)人に頼らない時代・・・人は頼りにならぬもの。出来る限り自動化・機械化を進める一方、人の行動は作業標準を定め、それを徹底するように教育する。

(2)のアプローチは科学的に分り易い(あるエラーが頻発するなら、マニュアルが悪い。ある人がエラーを頻発させるなら、マニュアルの不徹底と考える)が、以下のような限界がある。
(1)作業者の意欲が沸かない。
 人は創意工夫や自己裁量、自分自身の成長があるときに、仕事に対して意欲が沸くもの。マニュアル化が徹底されと、システムが十分に完成されたものとなっていると、やらされ感になる。

(2)設備改善には限界。
結局、改善をやったらやったで新たなリスクが生まれる。どれだけ頑張っても人が絡む以上リスクが0とはならない。また、設備投資の限界という現実的問題もある。

(3)マニュアル爆発
マニュアルが膨大になり、教育に掛かるコストが拡大する。

(4)状況が変動する場合には向かない
変動する状況の一つ一つにマニュアルは作れない。作ったとしても、現実にそれを参照しながら作業を行うことは、ダイナミックに状況が変化する中では不可能。

異常事態を予め想定していたとしても、実際には状況はその場その場で異なる。結局、係わり合いを持った人々の臨機応変な行動によって事故の被害を如何に食い止めるかが重要となる。このような人の柔軟な行動に頼る安全を考えることが必要。これがレジリエンス・エンジニアリングの考え方。

最終的には個人の資質をいかに高めるか。マニュアルの徹底という、具体的な行動の指示ではなく、行動の裁量権を与えた上で、適切な行動の意思決定が行なえるように人のコンピテンシーを高めることが求められる。それは以下の4つをそろえることが大切。
(1)心と体の健康
(2)業務に直結した技術・知識
(3)コミュニケーション力・気付き力など業務を円滑に回す能力
(4)危険感受性、職業人としての誇り・責任感
この4つをそろえるための施策を組織的に講じることが必要。

感想
コンパクトに安全維持の考え方がまとめられている。論文というよりは解説記事といったところだが、非常に分り易い。

2010年10月5日火曜日

ワーク・モチベーションとCSR評価−ハーズバーグの動機付け衛生理論とCSR評価の関係性構築モデル−

[タイトル]
ワーク・モチベーションとCSR評価−ハーズバーグの動機付け衛生理論とCSR評価の関係性構築モデル−

[著者]
上原 衛, 山下 洋史, 大野 �裕

[掲載]
日本経営工学会論文誌, Vol.60, No.2, pp.104-111

[アブストラクト]
現在、CSR(Corporation Social Responsiblity:企業の社会的責任)を重視した企業経営が注目されている。企業を取り巻くステークホルダー(利害関係者)が企業の持続可能性(サスティナビリティー)を視野に入れたCSRを重視したしてんから、企業経営のあり方を求め始めており、企業は企業価値向上に向けてCSRに取り組み始めている。また、従業員が働きがいを持って仕事に従事すればその企業のCSRも向上させることが出来、一方、CSRを果たしている企業の従業員はCSRに対する意識も高く、ワーク・モチベーションも一層高くなるという正のスパイラルの関係に注目し、本業を通じて社会貢献を行いCSRを果たそうと努力している企業もある。本研究では、ハーズバーグの動機付け衛生理論に基づき、動機付け要因(M因子)追求者と衛生要因(H因子)追求者の違いによって、CSR評価における自社の積極的な施策や戦略である「攻め(Aggressive Criteria)」の評価と自社の内部管理体制やリスク管理体制の「守り(Defensive Criteria)」の評価に差が表れるという視点に注目し、組織内部者のワーク・モチベーションと自社のCSR評価との関係性を簡潔かつ分り易く表現するための新たなモデルと提示する。

[キーワード]
行動科学, ハーズバーグの動機付け衛生理論, M-H因子, ワーク・モチベーション, CSR

[要約]
CSRの評価指標として、「経済面」、「環境面」、「社会面」という3つの縦軸と、「攻めの施策」、「守りの施策」という2つの横軸の、トータルで6つのカテゴリーがある。組織の各メンバにおける、この各カテゴリーの評価の自社のCSRの評価の関係を調べた。具体的には、それぞれの軸を独立しているものとして捉え、各個人の要素を排除した、M因子追求者・H因子追求者別の、自社の攻め施策および守り施策に対する評価のウェイトと、経済、環境、社会のそれぞれに対する評価のウェイトという2つのパラメータを設定し、以下の式で表した。

Y(i;,j) = Σb(k)(Σa(j,l)・x(i;jkl)) + e(i;jkl)
i : 評価者
j : M因子追求者とH因子追求者のタイプ
k : 経済、環境、社会 の 3因子
l : 攻め、守り、社会 の2因子
Y(i;j) : iさんのモチベーションタイプと、自社のCSRに対する総合評価
x(i;jkl) : i さんのモチベーションタイプと、自社の6つのカテゴリー分けのカテゴリーごとの評価
e : 残差

実際にある会社の社員に対して自社のCSRを評価してもらい、その結果から上記の式のパラメータを計算した結果、
(1)M因子追求者に於いては、自社の施策の攻めと守りの両方を均等にウェイトを置いて、総合のCSRを評価していた
(2)H因子追求者に於いては、自社の守りの施策に特にウェイトを置いて自社の総合のCSRを評価していた
このことから、コスト削減や内部管理・リスク管理はH因子としての性格を持つということが分った。

[感想]
色々と疑問が・・・。
最初の概念論はまあ分らなくもない。(なお、ここでの社会的責任は「本業を取り組む」ということと「本業以外で社会に対して支援金を出す・文化事業を行なう(自社の本業の向上につながらないようなこと・ボランティア)」とを分けて考えておく必要はある。)

しかし、そもそも論として、研究の中で一体なにをどのように明らかにしようとしているのかが不明。仮説は「企業のCSRへの取り組みは、従業員のワークモチベーションを挙げるための単なるトリガーであるだけでなく、従業員が働きがいを持ち、ワークモチベーションが高く、活性化している従業員が働く企業こそが社会的責任を果たせるのではないだろうか」という部分だと思うが、これが実証されているとは思えない。

また、具体論として、このモデルを用いて検証したということは、まあ、結果としてそうなった、ということだろうが、なぜこんなけったいなモデルを考えたのだろう??重回帰分析ではダメだったの??それに、このモデルは互いに軸が独立しているという前提を暗黙に立てている気がするが、交互作用はなかったの??決定係数はかなり高い値が出ているとはいえ、他の分析方法(モデル)と比較してこの式が決定係数が高いというのであれば、それを書いてもらわないといけない。