2012年3月21日水曜日

シンポジウム議事録「質的研究について考える」

[タイトル]
シンポジウム議事録「質的研究について考える」
佐藤 郁哉「エスノグラフィーについて」
金井 壽宏「アクションリサーチについて−組織エスノグラフィーと対比しつつ」
松尾 睦 「グラウンデッド・セオリー・アプローチについて」

[著者]

[掲載]
経営行動科学 Vol.24, No.3, pp.212-252, 2012

[アブストラクト]

[キーワード]

[要約・感想]
質的研究についてのシンポジウムの議事録(というか、発言録)
随所にぴんとくる内容がある。

P.214 定量と定性を完全に区別するというのは、そんなに意味がない。

P.216 「数値に血を通わせ、物語に規律を与える」という点が重要

P.218 アンケートとかっていうのは、結局リモート・センシングでしかない

P.218 第一、僕のことも「先生」と呼んでくれる人はもちろんいませんし、それから話の中に笑いが入ってくるんですね。その時のテープは、もちr本記録とってから全部破棄しましたけど。そういうことがあったりすると、やっぱりぜんぜん僕が本で読んだり、アンケートをとったりしているものではわからないことがいいパイあったというのが実感ですね。

P.220 (エスノグラフィーのリスクについて)「俺は見てきたんだ」という現場主義、いい意味での現場主義じゃなく、現場至上主義、「俺が見てきたものが本当だ」というところに陥ってしまう危険性がありはしないのか。・・・「事例について書く」のか「事例を通して何かについて書く」のかという点について分けて考えておく必要があると思います。この2つの間には、当然葛藤があるべきなんですけども、どうしても事例についてだけ書いてしまう、ということがあるという危険性はあると思います。・・・本当は、「で、なんなの?」つまり「So, what?」という問いに答えられるところを目指さなければいけない

P.221 エスノグラフィーは、決して従来の量的方法では解けない謎を解くことができる魔法の杖などではない

P.224 せっかく調べさせていただくのだったら、その結果、その職場、組織体、あるいは産業がよりよくなる方向にプラスになることもができるのが大事だと思っている

P.230 何事がおこったのか調べてくれといわれても、インタビューのしようがないのですよね。そこで、"Tell me what has happened to you" という問いを繰り返し、丁寧にストーリーに耳を傾けるしかありません。・・・「これこれありました」「次、なにがあったんですか?」、そいういう出来事を聞きながら、その出来事が持つ内面的な意味合いを解読していくわけです。

P.231 (アメリカのエスノグラフィーの大家が)お二人とも、先に、実験やサーベイ(質問紙法)、統計学をマスターしてから、質的研究の世界に入っていることに注意すべきでしょう。

P.232 フィールドで自分が行うことは、どんなことだって介入になる・・・ジョンが、ポリスアカデミーにいるだけで、大学の研究者というのを伏せていても介入だし、実は私はエスノグラファーだとなるのだけで、それも介入。・・・(要するに、現場でありのまま見るといっても、結局はすべて介入していることになる)

P.233 もしマリノフスキーが、トロブリアンド諸島を変化するために、介入研究でやってきたと公言して、参加観察研究を始めたらやっぱりおかしいですよね。まず、上から目線になるでしょう。介入という言葉にはネガティブな響きがあるのは、このいいではいいと思うのです。だから、エスノグラファーの原点は変革のための介入よりも、どういう文化なのかを解読・理解・記述することが第一義でしょう。しかし、・・・深く現場に入って調べてもらったら「どんなことがわかりましたか」と聞きたいのが、内部者の人情というものではないでしょうか。

P.234 エスノグラファーとして学びたいという気持ちと、より友達を警察官のように変容させてしまう警察組織を変えたい気持ちがどこかであったとしても不思議ではありません。



「組織開発」という概念が自分の中ですごく印象的。
いかに「ポジティブな介入」をするか。
結果を返すだけでも介入であるのは確か。相手方が「この人たちはこういう方法をわれわれに適用している」という認識がなくても、自分たちは何らかの方法を適用しているんだという認識が必要。
ある意味、それが研究として行っている処方箋なのかもしれない。

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